館長エッセー 第2回 開かれと閉ざされ
鳥取県立美術館を設計していただいた槇総合計画事務所の槇文彦さんの訃報に接した。美術館の竣工を見届けていただいてからのお別れであった。鳥取の地にかくも素晴らしい建築を遺していただいたことにあらためて感謝と哀悼の意を表したい。
私は一度だけ槇さんと対面してお話したことがある。新しい美術館の建設が決まったことを報告するために参上した折であったと記憶する。御自身が設計された建築そのままの謹厳で端正、気品のあるお姿は、無言でお座りになっているだけで鮮烈なオーラを発していらっしゃった。以前勤務していた京都国立近代美術館も槇さんの設計であったから、私ははからずも槇さんが関わられた二つの美術館で仕事をするという幸運に与ったこととなる。
さて、竣工した鳥取県立美術館に目を向ける時、その建築の特徴はファサードの全面にガラスを配した明るく開かれた構造であろう。このような特徴は美術館としては例外的といえる。なぜなら通常であれば美術館は作品を保護するために光や外気を遮断する閉ざされた構造、言ってみれば蔵のような建物を理想とするからだ。これに対して、槇総合計画事務所からは開かれた美術館というやや異例の提案がなされた訳である。一方で私たちは美術館を運営するにあたって理念となるブランディングワードを定めることにしていた。いくつもの候補の中から選ばれたのは「OPENNESS!」すなわち「開かれ」という言葉であった。つまり偶然にも美術館の建築と運営、ハードとソフトの理念が同じ言葉で結ばれたのである。この場合、開かれとはさまざまな意味をはらんでいる。誰に対しても開かれ、さまざまな価値観に対して開かれ、社会と世界に対して開かれた美術館。私たちはこのような理念を「社会に向かって開かれ、多様な価値観を受け入れる美術館」という美術館のミッション・ステートメントの一つとしてすでに表明している。
美術館の主要な仕事としては作品の展示と収集が挙げられる。収集とは単に作品を集めるだけではなく、それをよい状態で後世に伝えていくことを意味する。しかし実は展示と収集は両立しない。なぜか。作品を展示するということは常に作品にダメージを与えるリスクを伴うからだ。展示とは作品を光にさらし、温湿度の振れが大きい展示室に置き、時に作品にとって有害な空気環境の中に放置することである。展示作業中に事故が発生するかもしれず、来場者によって傷つけられるかもしれない。もし作品の保存を美術館の一番重要な使命と考えるならば、作品は温湿度の安定した収蔵庫の暗闇の中に安置されることが望ましい。ここには開かれと閉ざされの対立がある。展示とは作品を来場者に対して開くことであり、収集保存とは作品を収蔵庫の中に閉ざすことである。美術館は作品をめぐる二つの矛盾した使命の間で活動を続けているといってもよい。展示室で公開して多くの人の鑑賞に供することと収蔵庫の中で後世に伝えていくこと。ともに美術館にとっては自身の存在理由ともいうべき重要な仕事であるが、私の学芸員としての経験を振り返るならば、この30年ほどの間に日本の美術館では作品保護についての意識が高まってきたように思う。作品の保存修復を職能とするコンサヴェーターと呼ばれる専門家を配置する美術館が増え、作品の借用条件も厳しくなってきた。良いとか悪いとかではない。日本の美術館の趨勢として開かれから閉ざされへ、ゆるやかな変化が進行しつつあるように感じるのだ。
美術館の建築に戻ろう。槇総合計画事務所の設計はこの点でも実によく練られている。開かれと閉ざされのゾーニングがみごとなのだ。「ひろま」を中心としたフリーゾーンや三階の展望テラスには光が降り注ぎ、明るい環境の中で談笑したり、読書したり、携帯を操作することができる。一方、企画展示室とコレクション・ギャラリーは完全に調光され、来場者は暗く瞑想的な空間の中で作品に向かい合うことになるはずだ。(例外はコレクション・ギャラリー3であるが、これについてはまたいつか記そう)暗く落ち着いた環境の中でこそ人は作品に集中できるということは誰もが経験的に知っている。
私は誰がどこから入って来るかわからないような美術館は好きではない。一方、暗く威圧的な美術館も嫌いだ。前者は開かれが、後者は閉ざされが過剰なのである。学芸員が作品の開かれと閉ざされを念入りに調整するように、この美術館は建築においても開かれと閉ざされが周到に計画されている。学芸スタッフはまだ館内での執務を始めていないが、竣工後、様々な用事で美術館の中に足を運ぶたびに私はますますこの美術館のたたずまいが好きになっている。